二回目の奥の細道旅を始めました。JR黒田原駅から白河の関を越えて信夫の里を経て仙台へ、更に塩竈・松島と進み石巻までの約330qです。

初日は黒田原駅を8時過ぎに出発して、先ず黒田原神社で旅の安全と二人目の孫の安産を祈願してスタート、社殿前には珍しい狛蛙がありました。暫く田圃道を進むと手で田植えをしている夫婦に遭遇、今どき珍しい光景です。木漏れ日の中を気持よく歩いて芦野温泉を過ぎて芦野宿に入ります。芦野宿は参勤交代の往来でも賑わった奥州街道の宿場町、芦野氏の城下町でもありました。那須歴史探訪館で「おくのほそ道スタンプラリー」のスタンプを押していると「先程車で追い越しましたよ」と館長さんが話し掛けてきてきました。

遊行柳に着くと辺りは丁度田植えが終わったところ。芭蕉が訪れた元禄2420日(新暦67日)は約ひと月先だが当時は田植えの時期だったのでしょう。『田一枚植えて立ち去る柳かな』と詠んでいます。西行が『道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ』と詠んだ柳を是非見たいと訪れたのでした。近くの無料休憩所の遊行庵でお茶を頂き小休止、毎週サイクリングに来るという年配の方とおしゃべりした後、境の明神に向けて出発です。途中「泉田の一里塚」の木陰でコンビニおにぎりの昼食。13時に境の明神に着きました。国境に二社が並んで建っています。古来より国境に玉津島神社(女神)と住吉神社(男神)を祀る風習があり、女神は内(国を守る)、男神は外(外的を防ぐ)ということから、どちらも名前は玉津島神社となっています。お互い向う側が住吉神社ということでしょう。

少し進んで白河の関に通じる道に入ると「おくのほそ道」の道標が所々にあり道案内をしてくれます。14時半に白河の関跡に到着。白河の関は、太平洋側の勿来関(福島・茨城の境)、日本海側の念珠関(山形・新潟の境)とともに奥州三関といわれ、蝦夷南下の防御や通行人、物品の検閲を目的に設けられた所で5世紀前半には存在していたようです。その後衰退し、1213世紀に絶えたとみられています。古代の白河の関がどこかについては色々な説があったようですが、寛政12年(1800)に松平定信が現在の場所に古関蹟碑を建て古代白河の関の地と定めました。芭蕉が訪れた元禄2年(1689)当時は叢祠のみが出迎え白河の関と明確には認識できなかったようです。
白河の関跡には、古関蹟碑の他にも白河神社の社殿脇に古歌碑や「おくのほそ道」碑。白河関の森公園に芭蕉曾良像や芭蕉の『風流の初やおくの田植うた』、曾良の『卯の花をかざしに関の晴着かな』の句碑とともに卯の花が咲いていました。

白河の関跡からは一日2本しかないバスの最終便(15:16発)で宿がある白河駅へ。本数が極めて少ないと思ったら最後まで乗客は私一人でした、これでは仕方がない。
夕食は地酒で、地元白河の千駒酒造「千駒」、大谷忠吉本店「登龍」に古殿町・豊国酒造「超」を美味い肴で頂きました。

黒田原駅 黒田原神社 田植え 田圃道
芦野温泉 遊行柳 芭蕉句碑
田一枚植えて立去る柳かな
温泉神社上の宮 脇沢の地蔵様 泉田の一里塚 境の明神(栃木側) 境の明神(福島側)
芭蕉句碑
風流の初やおくの田植うた
道標 白河の関跡 古関蹟碑 古歌碑
芭蕉曾良像と句碑 卯の花 おくのほそ道碑
白河駅
今回の行程
10日目 2015.05.06(水) 黒田原〜白河の関  26.1q

JR黒田原駅8:15〜遊行柳10:15〜境の明神13:00〜白河の関14:30〜宿16:00