| 20日目 2015.05.16(土) 岩切〜松島 17.7km+船11.4km |
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岩切8:00〜多賀城跡9:45〜末の松山10:40〜塩竈神社12:00〜瑞巌寺15:10〜雄島16:00〜松島海岸16:30 |
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今回の旅で初めての本格的な雨、距離は短いが歌枕の見所が多い一日です。岩切駅から広い35号線を東に進みます。砂押川を渡り細い道を行くと多賀城碑(壷の碑)があります。天平宝字6年(762)建立で、芭蕉はこの碑の前で涙を落とさんばかりに感激したとあります。おくのほそ道には『むかしよりよみ置ける歌枕おおく語り伝ふといへども、山崩れ川流れて道あらたまり、石は埋もれて土にかくれ、木は老いて若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡のたしかならぬ事のみを、ここに至りて疑いなき千載の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労を忘れて、泪落るばかり也。』と記しています。その後、多賀城跡を見て浮島神社を参拝し、国府多賀城駅前の観光案内所へ。スタンプラリーをして、職員にこれから行く所の道順を聞いて先を急ぎます。 東北歴史博物館の脇を通って多賀神社を過ぎ多賀城駅を越えると末松山宝國寺、更に少し進むと、歌枕の沖の井(沖の石)があります。その先に末の松山がありました。清原元輔の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」と「君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむ」(古今和歌集東歌)の歌碑があります。更に野田の玉川、おもわく橋を経て昼頃に塩竈神社に到着です。雨も上がって来ました。202段の急勾配の石段を登り参拝、文治の燈籠(奥州藤原三代秀衡の三男和泉三郎が文治3年(1187)7月に寄進)が江戸末期、近在の俳人が詠んだ句を刻む40本の石柱に囲まれて建っています。安産お守りを頂いて志波彦神社を参拝、境内から塩釜の浦が望めました。神社を下り、芭蕉止宿の地の碑を見てから、浦霞酒造佐浦に立ち寄り、近くの御釜神社を参拝。芭蕉も使ったという手水鉢がありました。 マリンゲート塩釜で昼食、船で松島へ。「島めぐり芭蕉コース」の観光船に乗り50分の船旅。船内案内と土産物販売の女性は野蒜出身。駅前で美容院をやっていたが、東日本大震災の津波で本人以外は人も家も亡(無)くなって仮設住宅暮らしだと言っていました。皆、悲しみを心に秘めて暮らしているのですね。 夕食は、仙台の仕事仲間だった佐藤曾良と楽しい一夜。やっと浦霞にありつき、おでんやホヤを食しました。 |