第8日目  2011.11.13(日)
嬉野〜彼杵〜松原〜大村    28.2km

8時に出発、先ず豊玉姫神社(美肌の神様)に参拝です。旧道を歩いて8時半に古い社がある丹生神社へ、更に進むと丹生大明神の鳥居があります。暫く進んで国道に合流、坂を登っていくと俵坂関所跡の案内が。右の旧道を進むと「俵坂関所遺跡」碑と「従是北佐嘉領」領界石が立っています。説明に「江戸時代、幕府の管轄を関所、藩の管轄を口留番所と呼び、正しくは俵坂口留番所である」と書いてあります。俵坂峠を越えて長崎県東彼杵町に入ると標識が充実してきます。猪除けの柵を越えて10時半に鳥越一里塚を経ると、小学校の近くに大楠跡があります。長崎街道一といわれシーボルトが直径5.347mと測定したとあります。

長崎自動車道を越えたあたりに手作りの「長崎街道 風と共に歩く」の標識が、正にこの気分で歩いています。彼杵川を渡り、JR大村線を越えて、民家の脇に立つ川原千部塔を過ぎると彼杵神社です。ここに彼杵宿本陣跡(御茶屋跡)の標柱が立っていました。船着場跡や八坂神社を経て進むと本町万部塔があります。キリシタン弾圧で仏教徒への改宗が進められた時、その証として建てられて宝塔の一つです。更に進むと日本二十六聖人乗船場跡があります。慶長2年(15972月、長崎の西坂で処刑された日本初の殉教者たちはこの彼杵の浜から船で長崎に向かったといいます。12時に昼食、彼杵の名物鯨定食を食べました。1340分に千綿駅を通過、右手に大村湾を望みながら進みます。14時過ぎに松原宿に到着、小さな宿場ですが、案内板などもしっかりしていて、中程に旧松屋旅館が公開されています。松屋旅館は1700年代後半に創業し、商人、町人、下級武士の宿泊に利用され、昭和40年代まで旅館業が営まれていたと。ここの持ち主が埼玉県入間市に移り、ここを松原宿活性化協議会が借り受けて「まちおこし」に使っているとのこと。話を伺った方の親戚が川越市に居るとか埼玉が近く感じられました。

郡川をわたってから国道34号を暫く歩き、皇天宮を過ぎると首塚跡があります。さらに胴塚跡、獄門所跡といったキリシタン殉教史跡が続きます。説明板には、天文18年(1549)日本にキリスト教が伝わり、大村では領主大村純忠が日本初のキリシタン大名となり領内の布教を強く支援したことから領民のほとんどがキリスト教に改宗した。しかし豊臣秀吉、続く徳川幕府のキリスト教の禁教政策によって大村藩でもキリスト教が禁止され仏教への改宗を厳しく迫られた。島原の乱から20年後の明暦3年(1657)、郡村を中心として領内に隠れてキリスト教の信仰を続けていた人達が発覚(郡崩れ)し、603人もの人々が捕まり406人が打ち首となった。信者の首は見せしめとして街道に面した獄門所に1ヵ月間晒された。当時はキリシタンの妖術で首と胴がつながって復活することを恐れたため、首と胴は別々の場所に埋められたと伝えられています。

17時に大村藩主大村家の菩提寺である本経寺を参拝しました。ここには初代藩主喜(よしあき)(純忠の子) から11代藩主純(すみあき)までの歴代藩主とその一族の墓が立ち並んでいます。6mを超す巨大な墓塔が目を見張りますが、墓塔が巨大化するのは島原の乱以降。キリシタン大名であった大村家が仏教に深く帰依していることを示すため巨大にして長崎街道からも見えるようにしたと推測されています。夕暮れ時に一人でこういう所に居ると何だか不気味です。
本日はここまでとし、大村で宿泊、夜はホテル近くの飲み屋「きぶん」で一杯。

豊玉姫神社 丹生神社 丹生大明神 俵坂関所遺跡 猪除け
鳥越一里塚 大楠跡 洒落た標識 川原千部塔 彼杵本陣跡 船着場跡
八坂神社 本町万部塔 日本二十六聖人乗船場跡 昼食 松原宿
旧松屋旅館 伊東家住宅 皇天宮 首塚跡 胴塚跡 獄門所跡
本経寺 大村家墓所 きぶん